空腹
芸術祭が終わった。
解体されていく展示部屋のパネルや装飾たち。
元通りになっていく教室
普段と変わらぬ日常の風景がじわじわと蘇る
あの3日間はもうすでに過去の出来事になってしまった。
一つの指針、目標地点としていたイベントが終わった。
達成感もあるが、なんとも言えぬ無力感、虚無感、そして疲労感。
売上金をいただく。
美味しいラーメン屋に行こうかな。
学校に向かう途中にあったラーメン屋は今、解体作業をしている。
いろんな思い出が詰まっていた場所が重機で簡単にぶっ壊されていく。
物は簡単に壊せる。
心の中にある物は壊れてもそこに残る。
お腹が減った。
いろんなことを思い詰めるとお腹がなっていても食欲がなくなる。
かろうじて水分だけは取りながら
ちょっと何かをつまむ。
自炊をかれこれ1週間くらいしていない。
コンビニで買ったものか学校で買ったものを食べていたらもう月曜日。
芸術祭中食べたのは最終日の焼き鳥の皮とギョウザドッグとチョコバナナだけだった。
身体は確実に何かを欲している。
欲しているのに、心が喉を苦しめ、結局何も食べれなくなる。
気がつけばまたやつれたように思う。
腰回りの骨が出っ張って、腕は弱々しくなった。
多分、今誰かに抱きしめられたら体温なんぞあまりないのではないか。かつて温かいねとよく言われた私の身体だが、もう冷めきってしまったのではないだろうか。冷めきったのは身体というよりも心かもしれない。
筋力が衰えたので重いものをうまく運べない。
展示の準備中すぐバテては息をあげた。
体力がない。
こんな文章を打っているうちにご飯が炊けた。
今日は舞茸ご飯の素と一緒に炊いた。
だからしばらくはおかずを買わずとも米だけでなんとかなる。
ついでに賞味期限が今日のヨーグルトも食べてしまおう。
今やっとご飯を食べることができて安心している。吐かずに飲み込めてよかった。
昨日は食欲が湧かずでも身体が「早く栄養をくれ」と叫ぶように腹がよじれていく感覚だった。ぎゅううううううううううと絞られていくような。今にも自分の体が朽ちていくような。
いっそのこと、栄養失調で倒れてしまえばいいのに。
友だちがお疲れのようで寝ている中、いつものように忘れないうちに漫画を描いてシャワーをさっと浴びて寝た。
目の前にどれだけ美味しそうな肉があっても
ラーメンがあっても
早い段階で限界がくる。
吐きはしないが「これ以上食べてもしんどい」となる前には残す。
昔は罪悪感に苛まれてご飯を残すことが悪という考え方のおかげでなんとか食べていたが、今はそんな罪悪感すらどこかに消え去ってしまったように
ただ味がする塊を口に義務的に運び込んでいる気がする。
美味しそうに食べている友だちが心底羨ましい。
美味しいけど、美味しいと感じる心もどこかに落としてしまったのだろうか。
芸術祭中に生理にあたり、下半身が大出血している中で鉄分どころか栄養をまともにとっていないからこんなことになるのだ。
外食でもいいから行けばいいのに。そんな元気すらない。ただ部屋にいたい。何もしたくない。何もしたくないけどこうやって文章は打っているのだから何かしら出力しようという意識は常にあるんだと思う。私の脳内は常に何かと戦ったり悲しんだり妄想したりと忙しい。行動は遅いくせに脳内の余計な思考回路はやたら早い。だから腹はすくんだ。栄養を欲するんだ。なのに、食べない。食べなきゃ。いつか死んでしまう。
こんな文章を書いていると読んでいる人に心配をかけてしまう。
生きているので安心してください。睡眠はとっているので大丈夫です。
こういう文章系の記事はツイッターとかインスタグラムに更新したことを一切知らせていないのに、意外と読まれているんだなとアクセス分析のデータを見てちょっと驚いている。
先日書いたなつめりおのひとりごととかを読んで人は何を思うのだろう。
不特定多数に読まれているという自覚があるにも関わらず、こうして私が漫画だけではなく文章にしているということは、それだけ漫画に感情を詰め込みきれていないということだ。だから、文字を打つ。後先考えず。身内なんて考えず。ただ、自分の心のために。出力する。
自分のことを内に留めておける人がすごい。「自分のことをネタにできるなんてすごいね」とよく言われるが、逆に「自分のことじゃないことでネタにして綺麗に話が作れる人がすごい」と私は思う。自分は自分が経験したことじゃないと、生で感じた気持ちや感触じゃないと、作品に出力するとき何もできないのだと思う。気がつけばそうなっていた。
そろそろ楽しい話も描きたい。
2019.1028
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