覚悟はしていたとはいえ、朝方から訃報が入るとは思わなかった。去年の冬もそうだった。
今年の秋もそんな気分を味わうことになるとは思わなかった。
LINEで訃報を聞いてもなかなかピンとこない。
いつものように目覚ましがなるより早く目が覚め、時間を確認しようと携帯をのぞいたら父から祖父が亡くなったというラインがきていた。
今日は二限からだから朝はゆっくり寝ていられると思っていたのに目が覚めた。
4時代、曽祖母の時もそうだった。朝方に息を引き取った。
もう残りは少ないと6月に入院した時聞かされていた。あの時は残り2ヶ月持つかどうかということだったらしい。8月中・・・とにかく会えるなら会いに行かねばと思っていた。
8月、自宅で療養している祖父にあった。見たことのないくらい痩せ細っていて入れ歯を外してしまうと顔もガリガリでちょっと怖かった。そのくらい痩せ細って弱っていたけどしっかり話すことはできた。ベッドで横たわる祖父からお盆玉をもらった。そんな祖父からお盆玉をいただいていいのか・・・と思ったがありがたくいただいた。最後にいただいた1万円、大事にします。
幼い頃からよくしてもらっていた。会いに行ってはお小遣いとかパチンコでもらってきたお菓子を大量に取っておいては「これ食べな」ともらっていた。ランドセルは祖父に買ってもらった。高校の時も大学の時もお祝いしてもらった。
大学生になる時地元から離れる前に顔を出した。「じいちゃん、あと4年も生きれる気がしない」と笑いながら話す祖父に「そんな冗談やめてよ〜、長生きして」と答えた。あれから2年半くらいだった。
今年の1月のお誕生日の時はしっかりしていたのに半年後には深刻な状態だとわかり、病院で過ごすもなんとか回復したので実家で過ごし、私が会った時はガリガリだったけど一人で歩いて動くこともできていた。あの日は今までなかったけど祖父と握手をした。もう、そんなに長くないと思いたくなかったけど最後かもしれないと思って行ったし、「頑張った。ガンなくなったんだ!!」とイキイキと話していた祖父も多分心の何処かでそんな気がしていたのではないか。腕も足も痩せ細っていたのに手はしっかりしていた。少しひんやりしてたので私の体温で温めた。あれが最後だった。あれからしばらくしてまた入院し、今朝方お空へいってしまった。早くに亡くなったばあちゃんと再会していればいいなと思う。
あと数日で今期の授業が終わる。今は4期、9月末で終わり。締め切りが結構差し迫っている。そんな時の訃報に今どうしようもない気持ちを抱いてとりあえずこうして文章を打っている。福島にまだ帰りたくなかった・・・。だが人の命、限りあるもの。いつかは亡くなる。ちゃんとお別れをしたい。
どうか安らかに眠ってね。どうもありがとう。
2019.0926